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書店TORCHのブック・エッセイ #02『フラニーとズーイ』

『フラニーとズーイ』著:J.D.サリンジャー、訳:村上春樹(新潮社)

「売り続けたい一冊を教えてください」

 先日、そんなご質問をいただく機会があり、しばらくの間考えていた。売り続けたい、という部分に大いに悩んだ。

 本はたくさん種類があるところが面白いと思っている。だからこそ、一切の手がかりのない状態で人に本を薦めることに、自分は恐ろしさを感じてしまう。おすすめを聞かれたら、いくつか質問をさせてもらったうえで、与えられたヒントをもとに本を絞り込んでいく。おのずと、売りたい本は相手によって異なってくる。長く店を続けることができれば、時代によっても変わってくるかもしれない。そんなことをうじうじ考えて、じゃあ売り続けたい本とはなんだ、と堂々巡りをしていた。

 日本では年間、七万点近くもの書籍が出版されているらしい。途方もない量だけれど、それに比べて人ひとりが生涯に読める本の数なんてたかが知れている。それでも、もし自分にとって、貫かれるような、それを灯りに歩いていけるような、そんな本に生きてるうちに出会えたとしたら、それは全くとてつもない、天文学的な確率の幸運ではないかと思う。

 『ライ麦畑でつかまえて』(あるいは『キャッチャー・イン・ザ・ライ』、いずれも白水社)で知られる、J.D.サリンジャーの小説『フラニーとズーイ』では、ある本が物語の重要なアイテムとして登場する。世の中全てがエゴにまみれた欺瞞(ぎまん)に思え、拒絶し、自分の殻にこもってしまった大学生のフラニーが肌身離さず持っているのが、他界した長兄シーモアの遺品である小さな宗教書だ。何度も何度も読み返し、心の拠りどころとすることで、彼女はかろうじて全てを手放さずに、この世界に留まっている。そんなフラニーに、末兄・ズーイが向き合い、妹と長い対話を始める。

 兄妹の間で繰り広げられる会話は高度にもつれ、転び、時に互いの傷を暴き晒すが、それでも(どちらも、絶対に容易く言葉にはしないけれど)ある種逃れようのない、愛情とも呼べる想いが根底に流れている。それは冗長でもどかしく、それでも相手を想って唱え続ける祈りのようでもある。二十年以上も前にはじめて読んだときから、この本は自分にとって大切な一冊となった。作中、フラニーが大事に胸に抱く、あの小さな本のように。

「まったくなあ」とズーイは言った。「世の中には素敵なことがちゃんとあるんだ。紛れもなく素敵なことがね。なのに僕らはみんな愚かにも、どんどん脇道にそれていく。そしていつもいつもいつも、まわりで起こるすべてのものごとを僕らのくだらないちっぽけなエゴに引き寄せちまうんだ」    ーJ.D.サリンジャー『フラニーとズーイ』(新潮社、2014年)

 本は、何かを解決してくれるものではないかもしれない。それでも、ままならないとき、何もかもが嫌になってしまうとき、どこへ進んでいいのか検討もつかないとき、しがみつけるような、立ち戻れるような本があったとしたら、暗い夜に飲み込まれずに耐え忍ぶことができるかもしれない。

 誰かにとって、そうなる本を売り続けることができたらと思っている。

書店TORCH
所在地:静岡県賀茂郡南伊豆町下賀茂839-4
Instagram:https://www.instagram.com/torch.minamiizu/

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