毎日が発見の宝庫。「自然暮らし」と向き合う、山根光一朗さんの南伊豆。 2023.3.20
こんにちは。『南伊豆新聞』編集部の多田です。
現在私は、南伊豆に3ヶ月滞在しながら、このまちの魅力を発信する、編集プログラムに参加しています。
私の自己紹介は、よろしければ前回の記事をご覧ください。
▼私の南伊豆留職日記vol.01:タダ サチノ【ローカル編集者としてやってきました】
今回の記事は、私が滞在中に出会った “気になる人” を訪ねていくインタビュー企画です。
海と山に囲まれた南伊豆で暮らす人々。
あなたは「普段どんなことをしているの?」「このまちのすきなところは?」など。
インタビューを通して、南伊豆の新たな魅力が見えてくるかもしれません。
今回、お話を伺ったのは、2011年に家族で移住をされた山根光一朗さん。
山根さんは鍼灸・整体師として「やまねこ治療院」を営むかたわら、他にもさまざまな活動をしています。
たとえば、複合型デイサービスの職員。
赤ちゃんからお年寄り、障がいのある方が同じ空間で過ごす「おっけいデイサービス」で、介護の仕事に携わっています。
利用者の方たちと輪になって「やまねこ体操」という身体ほぐし体操をおこなうことも。
またあるときは、パフォーマンスアーティストもされます。
幅広い年齢層に笑顔を届けるために、世界の楽器や数種類の人形を用いて演奏をしたり、歌ったり。「やまねこ一座」として、パフォーマンスを披露しています。
以前見学に行ったときは、ジンバブエの「ムビラ」という民族楽器で演奏をしてくれました。
他にも造園業や、農業など、時に自給自足の暮らしも取り入れている山根さん。
ご自宅で作った梅酢を、道の駅で販売することもあるのだとか。
活動を知れば知るほど、仕事と暮らしの境界線がはっきり分かれていない印象の山根さんは、
普段どのような生き方をしているのだろう。
今回は、そんな1つの仕事にとらわれず生きていく山根さんから、このまちでの暮らしについて、話を伺いました。
毎日眺めていても飽きない、このまちの風景
南伊豆町市之瀬に佇む「やまねこ治療院」。
治療院におじゃますると、山根さんはお気に入りのジャズピアニスト『Bill Evans』の曲を流してくれた。
大きめの窓から日の光が入る院内には、診察台が2台。
ところどころに飾ってある絵画や木工細工は、友人作家さんのものや、自ら手がけたものだそう。
院内のどこを切り取っても、こだわりが感じられる。
ツボを押す整体師の仕事にちなんでツボの絵を飾っている。ご友人「ささきりょうたさん」作。
治療院を出ると、お庭がある。
すると、庭の蒸釜から煙がモクモク。
なんと山根さんは、愛知県の郷土料理「鬼まんじゅう」を作ってくれていた。
鬼まんじゅうのさつまいもは、山根さんが畑で育てたものだ。
私が鬼まんじゅうを食べていると、山根さんは山々を眺めながらこんなことを言った。
山根:「正面に見える山があるでしょう。3月になると、ソメイヨシノ、ヤマザクラと続けて花を咲かせてね、一気に白く染まるんだよ。そこからゴールデンウィークにかけては新緑の季節。山が燃えるような緑になる。ここからの景色は毎日眺めても飽きないんだよね」
今は少し寂しげな山景色。燃えるような緑って、一体どんな色なのだろう。
鬼まんじゅうを平らげた後に向かうのは、山の方面。
山根:「よし。お腹も満たされたことだし、散歩しながらゆっくり話そうか」
私は山根さんと、一緒にお供してくれるという娘さんの後をついていった。
旅の始まり。当たり前の概念が変わった出会いの連続
現在は、整体師の他にもアート活動、造園業など、幅広い仕事に関わっている山根さん。
山根:「もともと大学卒業後は就職をして、定年まで働くのが当たり前だと思っていたんだよね」
山根さんから出てきた言葉は、意外なものだった。
転機は大学生のときだという。
山根:「地元の先輩がイスラエル留学に行ってさ。『なんだその世界!』ってすごく興味が湧いて、僕も遊びに行ったんだ。それからかな。海外を旅するようになったのは…」
大学卒業後もアジアやアフリカなど、2年ほど放浪旅を続けた山根さん。
旅先では、飛行機を使わずに船で世界を巡っている人や、仕事を辞めて無期限で旅をしている人など、たくさんの生き方に出会った。
ガンジス川源流より更に上の地域。湖から顔を出す山根さん。
旅の途中、2度目の転機が訪れたという。
山根:「インドの旅先で、『日本で面白い暮らしをしている人たちがいる』っていう話を聞いたんだよね」
帰国後に向かった先は、長野県下伊那郡にある「大鹿ふりだし塾」。
そこでは、水道や電気のない場所で農業をしたり、薪で風呂を炊いたり。
ときには家造りに携わったりと、自給自足に近い暮らしが体験できる。
標高1500mになる大鹿ふりだし塾で畑仕事中(右:山根さん)。
山根さんは、電気の通っていないこの場所で、食料を保存する方法、ヤギの乳を絞ったときの感覚など、都心ではなかなかできない経験について語ってくれた。
当時27歳。不安はなかったのだろうか。
山根:「不安かぁ。それよりも面白さの方が大きかったな。幼少期から都心のマンションで暮らしていた僕にとって、田舎での自給自足は知らないことだらけ。知らない技術を習得することに楽しさを感じたんだよね」
生きている感じを味わいたい
大鹿ふりだし塾で過ごすこと1年。山根さんはそこで奥さんと出会い、1人目のお子さんを授かった。子育てのために、一度は自然暮らしから離れ、愛知県で会社員として働き始める。
しかし都心での生活には、心の片隅に違和感があったそうだ。
山根:「このまま会社員生活を続けることを想像したんだ。確かにお金は手に入る。けれど、僕にとって毎日のルーティンは、自分が機械になっていく感覚があって。大鹿ふりだし塾にいたときみたいに、田舎暮らしで野菜を育てたり、山を眺めたり。“生きている感じ”を味わいたかったんだよね」
大鹿ふりだし塾で眺めていた景色が好きだったという山根さん(当時27歳)
山根さんは会社を辞め、手に職をつけようと決意する。
田舎暮らしを実現させるためだ。
山根:「手に職をつけていれば、自分で時間の使い方を決められると思ってね。大鹿ふりだし塾で暮らしていたときに、知り合いの整体師が自分の時間を有効に使っているのを見て、手に職つけるなら整体師かなぁって。もともと健康にも興味があったし。後は縁とタイミングもあるね(笑)」
山根さんは、30歳のときに鍼灸の専門学校へ通いながら、名古屋の老舗治療院で、4年間の修行を重ねた。
修行後、山根さんは田舎暮らしができるところを探した。
すると、友人からたまたま南伊豆町を紹介された。
山根:「最初は南伊豆に強いこだわりはなかったんだよね。たまたま友人の家に遊びに行ったとき、近くに良い物件があって…。その後も何度か南伊豆に遊びに通っていたとき、加納にある三島神社にお参りに行ったんだ」
三島神社、夫婦楠(めおとくす)前での家族写真(2011年)。この木に直感的に惹かれたそう。
山根:「賽銭をして、鈴をガラガラ鳴らしたら、上から鈴が落ちてきたんだよ。移住先を探しているときだったから、あ、ここに呼ばれてるかな?って思っちゃってさ。どれも縁とタイミングかな」
知らないことだらけの南伊豆暮らし
山根さんは、なんとなく住もうと決めたこのまちで暮らして11年目になる。住み続けられた理由はあるのだろうか?
山根:「いやぁ、僕は特に、ここで生涯生きようとか決めているわけではないんだよ(笑)。だけど、ここでの暮らしは楽しい。たとえば、お味噌を作るのも、キムチや醤油を作るのも、時間はかかるけど、自分で作れたときに、すごく面白いなと思う」
作って2年目の味噌。柿酢など、日々調味料が増え続けるキッチン。
山根:「作る時期が来ると、任務としてやらないといけないと感じるときもあるんだけど、一方で遊びだと感じる気持ちも混じってて。結局は、僕自身が楽しいからやっているのかもね」
遊ぶように暮らす、理想の形
田舎暮らしを楽しむコツ。それは、日常の中で起こる一つひとつの出来事を味わうことなのかもしれない。山根さんを見ながら、私はそんなことを思った。
山根さんから感じたことは、もうひとつある。
それは自給自足をして、自分たち家族だけが暮らせていけば良いという姿勢を感じないこと。
山根さんからは、人を楽しませようとする気持ちが垣間見える。
以前、山根さん宅で餅つきに参加したときのこと。
集まった人たちと会話に夢中になり、あっという間に時間が過ぎていた。
今日だって、インタビューをさせてもらう立場の私に、鬼まんじゅうを振る舞ってれた。
山根さんは、「自分が楽しくて、他の人も楽しい」のが理想だと話す。
受け取る人から与える人へ
山根:「実は僕、本を読むことが好きでね、印象に残っている話があるんだ。“人生の前半は、とにかく吸収する時期。それに対して人生の後半は、これまでの経験、知識、財産を誰かに還元していく時期”って書いてあってさ」
山根:「僕は財産的なものはあまり社会に還元できないから、『自分も楽しんで、周りも楽しめる』。そんなことを周りの人たちに還元できたらいいなと思っているんだ。たとえば、『やまねこ一座』のパフォーマンスを披露したり、自分で作った野菜のお裾分けだったり。それが還元することに繋がっているのかは、わからないけどね(笑)」
最後に、山根さんにとって「南伊豆の好きなところはなんですか?」と訪ねてみた。
山根:「自然が身近に感じられる暮らしは楽しいよ。月が綺麗だし、四季の変化も楽しめる。でも、結局ご縁もあるよね。このまちで暮らしたからこそ、出会えた人たちがいるわけでさ。みんなに出会えたから、南伊豆が好きなのかなぁ。あれ? これ答えになってる?(笑)」
“楽しい” ひとときを受け取って。
楽しくて、あっという間に過ぎていったその日の帰り道。
私は、ぼんやりと山を眺めながら考えた。
私にとって“働く”って、“暮らす”って一体どういうことなんだろう…。
山根:「結局は、僕自身が楽しいからやっているのかもね」
山根さんが話していた、この言葉がまだ余韻として残っている。